サスカッチを追え!

ゲーム・アート・オカルトがテーマなはずの雑記ブログ

器用貧乏が悩みの人に届けたい事

「風呂桶くんは器用貧乏にならないように気をつけないとね。」

 

学生のときにデザイン学校の先生から言われたこと。

 

そこから約15年が経ち

 

まさにそうなっている私です。(風呂桶は僕のHN)

 

器用貧乏って他人には中々理解されづらいコンプレックスだよね。

 

ある程度なんでもそつなくこなすことが出来るし、マルチタスクも問題ない。

 

だから周りからは何でも出来る安心して仕事任せられる人っていう評価をもらうこともあるんだけど、

 

本人からすると結構悩みの種だったりする。

 

僕みたいなクリエイティブ系の仕事だと、何かに一本集中して職人みたいに極める方が、多少その他が煩雑であったとしても何かカッコいい気がします。

 

画力100・コミュ力0・管理能力0 の人と、画力50・コミュ力30・管理能力20の人では後者の方が圧倒的に仕事はしやすいんだけど、

 

どちらに憧れるかといえば、前者の方がカッコよく感じる。

 

でも器用貧乏って前者みたいな職人タイプには中々なれない。

 

何でも出来ちゃうけど、何か突出したものがない自分に底知れぬ凡人感を感じてしまいます。

 

ただ、僕はあえて言いたい

 

自分が器用貧乏だと思っている人は、そんなコンプレックス感じる必要なんて全くないのだと。

 

完全に僕の主観だけど、

 

自分のことを器用貧乏だと思ってコンプレックスに思っている人は、自己肯定感が低い。

 

自分に自信がないから器用貧乏なんてネガティブなワードで自分を表現する。

 

自己肯定感が高い人だったら器用貧乏なんて言葉は使わないと思う。

 

「何でもできるゼネラリスト」「一人で仕事をまわせられるオールラウンダー」って自分の事を思うのだろうなと。

 

あと、器用貧乏の人って仕事上でも黒子的な立場になることが多いんじゃないかな。

 

何でも出来てしまうがために、他の人のサポートをしたり、先回りして仕事を終わらしてしまったりして、表立って自分をアピールすることが少ない。

 

が故に、近くで一緒に仕事をした人からは頼りにされるんだけど、意外と会社や組織からは評価されにくかったりする。

 

その結果、自分自身になかなか自身を持つことが出来ずに、器用貧乏という自己評価に落ち着いてしまう。

 

仕事をすればするほど、他の人の役に立てば立つほど、なぜか自分の評価を自分で勝手に下げていくという謎のループに陥っている。

 

ここからは自戒も込めて書くんですが、

 

器用貧乏の人に足りないのって自分をアピールする力なのかなと思うのです。

 

あと、自分の考えや発意を持って行動すること。

 

人のサポートをするってのは素晴らしいことなんだけど、逆を言うと自分の主体性がないってことだと思う。

 

何かあっても自分に責任がこない代わりに、評価も返ってこない。

 

そのせいで、いつまで立っても自信がない自分から成長できない。

 

だからもし、器用貧乏な自分をコンプレックスに感じているなら強制的にでも自分が発意を持たないと進まない仕事にチャレンジするといいかなと思う。

 

僕はここ数年、なるべくディレクターやリーダー的な立場になれる仕事につくようにしています。

 

いっつも頭の中半分くらいは「俺はこういう立場向いてないんだけどなー」っていう考えで埋まっているんだけどね(笑

 

自分の考えや発意のもと仕事が進んでいくときには怖さもあるし、心臓がドキドキする。

 

けど、やりがいはあるし、発意を持って行動することに慣れてくると、自然と自信もついてくるような気がしている。(というか嘘でも自信を持たないと進まない仕事になってくる。)

 

もちろん人のサポートをする業務でもやりがいは感じられるし、一緒に仕事をした人が喜んでくれて、仕事が成功するのはとても嬉しい。

 

けど、それじゃ自己肯定感の低さは中々解消されないのかなと思う。

 

結果が良かったとしても悪かったとしても、自分主体で行動する経験を少ししづつでも増やしていけば、

 

器用貧乏ではなく、何でもできるオールラウンダーっていう自己評価に変わっていけるんじゃないのかなと感じるのです。

 

まとまりはないけど、ある程度言いたいこといったのでおしまい。

 

 

<余談>

 

以前、友人に器用貧乏が悩みのことを話したら

 

「器用ってことは不器用よりはいいはず!だから気にすることない。」

 

って言われて一瞬ムカついたけど、妙に納得した(笑